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年間主食の確保と障子張り替え [滞在生活]

2015年11月7日の土曜日午前10時少し前。今朝は6時に起床して7時頃に自宅を出発、いつもはロード自転車で走る道である樽水ダムの峠、菅生の急坂、支倉を通って川崎町の知り合いの農家のお宅にお邪魔してきた。主食お米の一年分の引取である。道々、目に入る木々の紅葉がますます色付いていた。それにしても菅生の急坂は車でも登るにはしんどい程であるが良く自転車で登るものだと我ながら思う。 

 

(続きはこちら)


朝のお仕事 [滞在生活]

朝は家では誰よりも早く起きる。

夏などは4時50分程度に目覚ましを掛け起きるようにしているが、ここ最近は寒さが増し日の出も遅れてきたので2015年11月5日(木曜日)の今朝などは5時20分に目覚ましで起きた。

起床すると最初のお仕事が待っていてそれは職場に持っていくコーヒー淹れとお弁当のオニギリ作りだ。オニギリはいつも2個。

我が家でコーヒーを飲むのは妻と自分の二人だが、ネットでまとめ買いする豆を電気グラインダーで挽いて、電気ポットで沸かした湯を使いフィルターで淹れて飲んでいる。

朝のお仕事のコーヒー作りでは遠足ポットに入れて持っていく分の分量を作るので、普通の家飲みカップでは一杯14グラム程度の豆の量のところを24グラム程度を挽いて淹れる。細かい自分はキッチン計りでいつもきっちんと計っている。

グラインダーは米国滞在時に買ったものでガガガガガァーと相応の音がする。寝ている家族からいつ文句が出るかと緊張する一瞬でもある。内壁にこびりついた粉を叩き落とすためにグラインダーをガンガンと家具に叩きつけたりするから尚更だ。それでもこのグラインダーは10年以上は使っているから頑丈そのものである。道具は頑丈が一番だ。

フィルターではじっくりと淹れたい。沸騰して電源が切れたばかりの電気ポットを電源台座から外して手で持っていれるのだが、LIFEのうっちゃんのように「美味しくなぁ~れ、美味しくなぁ~れ...」と呪文唱えながら、満遍なく回し淹れながらだとなかなか疲れるし、朝の気が急いているときはなかば苦行に近い。

ところで、電気ポットで湯を沸かしている間には、時にはコーヒー豆の計量、そしてグラインドをする場合と、あるいはキッチンカウンターにオニギリ用に敷くラップを裁断して敷き、そこに冷蔵庫からオニギリのサイズ用に裁断されて販売されている海苔パックを取りだし、海苔をそれぞれ敷いて準備してしまう場合もある。

茶事、あるいは厳密な作業工程の実行とは違い、その時々でマチマチだ。実は、こういうマチマチ、その時々によって違う行為があると、気持ちが楽になるということもある。何でもかんでも効率効率だと人は疲弊して人生など嫌になってしまうではないか。

オニギリには炊きたてご飯が最適だ。握り上がりが違うし、大事なお米が握ってる間にポロポロとこぼれたりもしない。今朝は昨晩に炊いたのを再加熱したご飯だったのでポロポロ米を出来るだけ少なくなるよう気を使った。自分のような貧乏人にはポロポロ米はとても悲しい。

オニギリを握る工程の前には当然しっかりと準備も整えねばならない。

具体的に言うと、先に述べたラップおよび海苔の準備の他、握りながらまぶす塩、そして具の準備だ。自分の場合、具は最近は梅干しばっかりだ。正直これはつまらないが致し方ない。いずれ、これらをきちんと所定の場所に配置しておく。

オニギリを握る時はご飯茶碗を使う。殆どのオニギラーはきっとそうだと思う。

そのご飯茶碗にオニギリ半分の分量のご飯を杓文字(シャモジ)ですくってのせ、そして自分の場合は梅干しをそのパックから他の梅干しに触らないように気を付け1個だけを指でつまんでポイと中心付近に置く。申し遅れたが当然オニギリを握る前にはしっかりと手は洗っている。そして、その載せた梅干しがその中心位置からずれないよう、残りの半分の分量のご飯を載せて覆い、杓文字でペタペタと形を整えるように抑え少し固める。再加熱のご飯だとこの場面でも炊きたてご飯の時よりも少し強い力が必要となる。

そののち、茶碗に載せたオニギリを塩の容器の近く、自分の場合はキッチンの流し、に持っていき、容器の中の他の塩を出来るだけ湿らさぬように注意しながら、オニギリにまぶすのに使う分量の塩を片手の掌、自分の場合は左手の掌の真ん中位にポイと置く。

この塩の量は人によって当然様々であろう。塩すなわち健康の敵と見なす人は多いが、塩気の少ないオニギリは自分にとってはとても不味い。まぁ~そうは言っても自分も塩分摂り過ぎはダメダメ教育を主に妻から受けているので、適当に抑えてはいるが。

さて、ここからがオニギリ作りの佳境、握りの工程である。

NHKの数年前の朝ドラに「ごちそうさん」があった。放映後に主演のお二人である杏さんと東出さんがめでたくご結婚され、真面目そうなカップルでもあり好感がもたれ、末長くお幸せにと思ったりしている。そして最近、杏さんは渡辺謙さんの娘さんだと初めて知りびっくりしたりなど。

それは良いのだが、この「ごちそうさん」で杏さんが(もちろん役中でだけど)彼女お得意のオニギリを握る際に、分量の塩を掌に取って両手の掌ですりすりと馴染ませ、そしてオニギリを握るのを自分はとても関心をして見たのだった。私もこれを真似ていて、この握り方をする度に杏さんを思い出すこととなる。

最後に、自分の昼食はこのオニギリ2個のみである。朝食も前の晩のおかずで極めて簡素に終わらせるので、様々な栄養素を含む食事は夕食のみとなっている。

寝る前の食事の摂りすぎは慎むべきとされているが、仕方ないではないか。それに、これは素人判断も良いところだが、ここ2年来この食物摂取パターンで生活していて体調に異変を来すこともないので、消化吸収系を含む体も生活パターンに従って順化するのではないか、などとも思って気休めにしている。

昨日に途中まで書いて一旦筆をおいたこの記事。すでに今日は翌日の11月6日の金曜日だ。昨日と同じで朝日がきれいに昇るのが見え、蔵王もすっきりくっきりと見えた。書き始めるといつも長文の記事になってしまうが、暇潰しの趣味である。金も掛からぬし文章考えるので頭の体操程度にはなろう。

以上、
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PCの壁紙とマサル先生のこと [IT関連]

添付は自分のお仕事PCの壁紙だ。ネット画像を適当に見つけて自分で加工して作ってみた。緑色が好きだし、目にも優しいので、この壁紙をベースに、GIMPを使ってお釈迦様のような古い彫像の画像を同じくネットから探してコラージュ風にしてみた。明るい光を浴びてたゆたう緑色を帯びる水の中から古色蒼然としたお釈迦様が自分を見つめてくれている、そういう感じがしないだろうか。

この現代ではもう53歳はまだまだ若い部類に入るだろう。でも自分としては年齢を重ねてきていると思う。そのせいだろうと思うが、こころの事や、あるいは宗教、あるいは魂や死後の事なども考えたりすることが、まぁ~まぁ~多くなってきた。NHK教育テレビの「こころの時代」などをじっくりと、でも一人で視聴して感銘を受けたりするような年にもなったようだ。

中学1年と2年だったと思うが、マサル先生という今思えば50前後の落ち着いた感じの、でも野球部の顧問もする先生のクラスとなった。普段は非常に温厚な落ち着いた先生だったが、怒ると湯沸かしが沸いて、授業で使う笛、リコーダーというのだろう、を悪さをしていた生徒から奪いとって、それで頭を思いっきり笛が折れる程度ひっぱたく熱血もある先生だった。

そのマサル先生が教室の前、黒板の上にお釈迦様の写真を飾っていたのだ。笛が折れるくらいの力で生徒をぶっ叩いたり、あるいは宗教的なものを公共の教えの場に持ち込んだりと、今思えば、それこそモンスターペアレンツの格好の餌食となるような先生だろうが、その当時はノープロブレンであるし、今思っても非常に良い先生であった。

この自分のPCのお釈迦様(だろうか...)を見ると、自分はマサル先生のことを思いだし、落ち着いた良い人間になりたいものだ、と思うのだ。

以上、

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塩竃本町・深まる興味 [観光]

さきのブログ記事で塩竃の本町の実家あたりを「ヌイマチ」あるいは「ニイマチ」と親たちが読んでいた事を書いたが、気になったのでネットで調べてみたところ「仁井町」という地域?あるいはバス停が鹽竈神社の裏坂(御釜さん側の参道)の登り口にあることが分かった。

昔は七ヶ浜の花渕浜から母方実家の塩竃本町への移動手段は殆どがバスであったであろうから、そのバス停の名前を指して親たちがそう言っていたのを自分が記憶しているのではなかろうかとも思う。まぁ~、そういう事にしておこう。

そして、ここまで見つけたときに思い出したのが、そう言えば小さいときに乗っていたバスは床がまだ木の床だったようなぁ~、それに船でも何回か行ったしなぁ~、という記憶だ。

自分が小学校3年まで住んでいた七ヶ浜の借家は花渕浜漁港のすぐ近くであり、うすぼんやりとだが幼い頃にはバスでの移動の他に船で塩竃と行き来した記憶があるのだ。

ネット万能のこの時代、検索で何か見つかるかなと思い探してみたが、どうも塩竃市営汽船の航路であったことは確かだが、年代的に本当に自分もその航路路線として乗ったのか、あるいは何かのイベント的な乗船だったのかは分からなかった。

(「塩竃市営汽船のあゆみ」というサイトがある:

これ以上調べようとしたら、恐らく塩竈市か七ヶ浜町の図書館の郷土史に関する資料を見てみないとならないだろう。でも、さすがにそこまでのものでもないし...と言うところです。

このようにネット情報でもテーマにより限度あることは当然だ。だが一方では充実度に驚きを覚えるネットサイトも数多く存在し、例えばこちらのサイトもその一例として挙げられると思う:

こちらのサイトの塩竈神社関係の情報を見させて頂き、母方実家の塩竃本町の場所の近辺が歴史・地理的に重要であったと思われることが分かり、そして、これを知ることにより、様々な極私的な事柄が絡んだ思いが次から次と頭に浮かび始めたのだ。

この自分のブログ記事のどこかで述べたが、ネット情報がますます充実し、それらを意図も簡単に検索して知識を入手出来る今の世の中は、知的好奇心を益々刺激し、興味の範囲を広く、そして深くしていく。ある意味では危険な媚薬のようなものでもあるが、これを如何様に使うかは利用者の側の課題だ。いわゆるネット・リテラシーという概念の一部でもあろう。

いずれ、私的事情もあって興味は尽きないし、機会あればもう少し深堀してみたいと思い始めた、そんなところであります。

以上、


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