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2019道東 車中泊の旅 その3(北海道の事など) [観光]

2019年5月19日の日曜日、午後10時少し前。本日二度目の電脳日誌。今日は部屋の掃除やらちょっとした買い物で一日が終わった。合間に道東の旅の事を書こうと綴ったがまだ今回の旅そのものは始まっていない。
 
新車を買った、突然連休が現れた、車中泊ドライブ旅行だ、さてどこへ行こう?能登半島やら西日本やら逡巡があったが、最終的には北海道と決まった。
  
しかし決めたのがすでに3月中旬頃。車で北海道に行くにはここ本土からは必ずフェリーを使わねばならないが、早速調べ始めたところ仙台-苫小牧は完全に売切れでキャンセル待ちも半端なさそう。青函フェリーを確認するも全部売切れ。何とかまだ数席(数台)の空席があったのが津軽海峡フェリーでそれも青森発は午前2時出発という出来ればあまり使いたくない時間帯だった。しかし、それしか選択肢はなさそうだ。一泊が車中泊でなくフェリー泊になるだけだ、着いてすぐに釧路に向けて出発すれば当日中に着けてかえって良いじゃないかと前向きに捉えて、我々の道東車中泊旅行の大体の日程は決まったのだった。しかも帰りのフェリーも苫小牧-仙台は取れないので函館-青森。
  
行き先を北海道にしたあと、道内のどこに行くかを図書館でガイドブックやら何やら借りたり、あるいはO君から借りたバイクツアラー用のマップル地図などで検討したが、結局は道東の釧路と知床に重点を置くことにした。釧路は主に妻の希望。湿原にかなり興味があるようで是非カヌーに乗りたいという。知床は自分の希望。出来ればヒグマをクルーズから眺めて見たかった。どちらも今回は実現しなかったがそれでもとても楽しい旅行だった。
 
3月中旬にフェリーを予約した後、いよいよ車中泊旅行の準備に取り掛かった。寝台とかの準備は前の電脳日誌で述べた。5月GW連休でも冷える時は冷える、特に知床は雪が降る時もあるとの事。寒さ対策に結構気を使って、寝台や窓フィルムの準備が整った後に一人で残雪がまだ残る泉ヶ岳の駐車場に行って車中泊トライをしたり、電気毛布を使うためにポータブルバッテリーを買うことを決めてどのモデルを買うか悩んだり調べて時間を費やしたり、そんなこんな、忙しくお互いの仕事やら家の事やらをしている間にあっという間に出発の日が近づいてきた。
 
出発が日曜日(4月28日)になったのは妻が土曜日までお仕事だったため。その前々日の金曜日だったか北日本が急に冷え込んで北海道の東部では雪も降ったとの報道もあった。出発前日の土曜日、すでに自分は休みに入っていたが、急に心配になって真面目にノーマルタイヤをスタッドレスタイヤに戻す事も考え始めた。ネットで調べようとしても中々分からず、結局、知床のホテルの一軒に電話して現地情報を聞いてみたりした。自分を内地から来る宿泊予約客と勘違いして頂いたか丁寧な説明を受けた。曰く「降りましたけどすぐに溶けて道路に雪はありませんよ。地元の人もみんなノーマルタイヤに交換し始めましたし、大丈夫と思いますけど」との事。結局ノーマルタイヤで出掛けて問題も全く無かったが、帰路のトマム辺りの高速道路ではミゾレにも降られて流石北国とこわごわ運転しながら感心もしきり。
  
今しがた二階に上がって昔の写真を見てきた。いつ、誰と北海道に行ったかを調べたいと思って。でも、他のいろいろな写真を見たり、いろんな事を思い出したりしているうち返って分からなくなってしまった。良くあることだ。
 
旅行での北海道は恐らく3回だと思う。オートバイでのツーリングが2回、自転車での輪行旅行が1回。オートバイは恐らく21歳か22歳の時(84か85年だ)の会社の仲間と一緒に行ったのが最初かな。その時は会社のオートバイ仲間の他に職場の女の子や先輩女性も含め10数名の団体旅行的な旅となり、襟裳岬、池田、阿寒、厚岸、知床、富良野などメジャーどころを周った。
 
オートバイのもう一つの旅は高校同級生達と。どこを回ったかはっきりと記憶にないが旭川と稚内の宗谷岬は良く覚えている。旭川は車で一緒に行ったA君(震災で我々より先にもうあの世に行っちまったけど)の彼のお姉さんが住んでいる旦那さんの自衛隊のアパートに泊めたもらったから。宗谷岬は、旭川近郊でH君が事故ってしまって示談やらバイクの処理で旭川に戻っていったO君とH君を待って夜を明かした民宿での朝食の時(だったかな?)に、日航機墜落事故のニュースを見てびっくりしたから。(なのでこれは85年のお盆の時だ)。
 
最後の自転車旅行は高卒で入った最初の会社を辞める少し前の夏だったと思う。輪行で仙台・青森、フェリーで青森から函館、その後は道内を輪行しながら各地を回った。礼文島にも行ってキャンプで2泊位してトレッキングもした。帰りは自転車に力尽きて札幌から自転車を宅急便で自宅に送り、後は電車で移動して帰ってきた。函館山の裏側の登山道のトーチカ跡の中を裸でぐるぐると走る不審な男を見てびっくり仰天こわごわ逃げたり、帰りの東北本線の古川辺りから豪雨の名残の大きな湖のようになった田んぼを見てやはり仰天したりと。(豪雨記録を調べたが年代が合わないような… はっきりとしないが、もしかすると86年豪雨の時だったかもしれない)
  
ついでに、旅行では無く出張で行った滝川近郊の赤平市。まだアメリカ加州の会社に駐在勤務いていた当時の、結婚前の95年前後だったろうか。現地シリコンバレーの客先の購買の方と技術の方、どちらも女性の方を、しかも技術の方は妊娠数ヶ月の方で、ちょうどまだ冬だったので雪道で転んだりしないか冷や冷やしながら同行したのを覚えている。場所も炭鉱跡で多結晶の人工ダイヤモンドをダイナマイトを使った製法で作る場所であり「今のが発破の爆発音です。」などの説明を聞いたりした。
  
初日4月28日の日曜日の自宅から青森、フェリー乗船までを書く前に、遠回りして余計な電脳版・北海道との関わり思い出語りになってしまった。次回には弘前の花見やら岩木山やら青森の味噌カレー牛乳ラーメンの事など書いてみたい。
 
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以上

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