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表浜でのある事件 [自転車]

2016年3月6日の土曜日、今日のライドも浜方面に行った。「まだ季節は冬」という意識があり山方面はもう少し先にしようと思っている。今日もやはり少し冷え込んだ。いずれ平地ライドとなると、ここ名取市那智が丘からは名取川に下りて河原の土手道を走るのが最も手っ取り早いし、自分はこのルートがいたって好きなのだ。 

 

 

そして今日も閖上大橋からは浜街道にのり、歩道という名のダートを突っ走って行った訳だが、途中の荒浜では「仙台湾南部海岸完成式 会場」という立て札と会場準備らしい光景も目にした。(今ネットで見たら村井知事やら奥山市長やらも出席し、仙台、名取、岩沼、そして山元の一部の、総延長29kmの9割ほどが完成してこの式典を開いたようだ)

そして、そこからもう少し蒲生方面に走り進むと遠くにチャリダーらしき姿が、しかも自分と同じように歩道を走っているのが見える。「まさかなぁ~」と思いながらも近付くとやはりローディーだった。

この道、浜街道は他の多くの幹線と同じように狭い車道の割には交通量が多く、しかも殆どが大型車両だ。「引っ掛けられて死んだり大怪我するのはアホの骨頂」と思う自分と同じ判断で(恐らく)歩道を走っているこのローディーの方と遭遇し「同志よ、僕も嬉しい」というような気持ちと、恥ずかしいような気持ちと、多少複雑な心境だったけど、恐らく普通のロード用タイヤで走ってらっしゃったのだろう、おっかなびっくりのゆっくりスピードだったので、自分は一旦、しかし後方を十分に注意してアホ車に引っ掛けられないように車道に出て「こんにちわ!!」とお声掛けして抜かせて頂き、またすぐに歩道に戻りグラベルキングの威力でお先に失礼とさせて頂いた。それにしてもグラベルキングに替えてからこの約1年、約5,000km、全くパンク無し。大したものだ。

今日もこの前のライドで見つけた多賀城コンビナート裏の緑道を通って七ヶ浜に入り、久しぶりに外人部落の道(本当は進入禁止だけど)を通って表浜(おもてはま)に行ってみた。

↓表浜(東側の外人部落方面)
SM_DSC_0043.jpg

↓表浜(西側、小豆浜 - あずきはま - との間の外人部落方面)
SM_DSC_0044.jpg

表浜は花渕浜に小学校3年まで住んでいた自分にとって思い出多い「マイ・海水浴場」だ。こじんまりとしているが「だからこそ良いのだ」と小さい時から感じていたと思う。何故なら小豆浜の向こうの菖蒲田浜海水浴場こそは大海水浴場であり人もやたらめったらと多かった。それに花渕浜の住人である自分にとっては距離だけではない気持ち的な遠さもあったし。いずれ自分にとって表浜こそが心安らぐ幸せな海水浴場だったのです。

今、「高山外人部落」をネット検索したら「部落」が差別用語となっているからだろう、お上品な「高山外国人避暑地」となっていた。浜の人で「外人部落」でなく「外国人避暑地」と呼んでいる人などあまりいないのでは無いかと思いますが… 

いずれ、花渕浜に住んでいると、特に夏になると金髪の外人さんを子供から大人・老人まで良く見掛け、それがごくごく普通だったし、何の違和感もなかった。自分も父親の仕事の関係で外人さんが家に来たことがあるし、小学校3年に引っ越して山の上の方の家になってからも外人さんが来た事がある。その時は鶏小屋を自分で作るためノコギリで木を切っていたが外人のおじさんから「上手ですねぇ~」とお世辞を言われて嬉しかったものだ。あるいは同じく父の仕事の関係で高山の小豆浜脇の外人部落のあるお宅に入れてもらい優しそうな外人のおばさんにジュースとお菓子を頂いた記憶とか。

その「外人部落」関係で、恐らく自分が小学3年の時(なので今から46年程前の1971年頃か)だったと思うが、自分と友人の数人がちょっとした事件に巻き込まれた。

その夏のある日も、友人らと数人(総勢3人か4人)で表浜にやって来て海水浴やらで遊んでいた訳だが、何の切っ掛けか全く覚えていないが、一人(あるいは彼女連れだったか)で来ていたらしいおじさん(日本人)に外人部落(小豆浜側)のある家を見てきてくれないか?と頼まれたのだと思う。

このおじさんに何か特定の目的があったのか、あるいは単に子供の自分らに面白がってイタズラをけしかけただけだったのか、全く覚えていないし、その時はそんな考えも思いつかなかったと思う。

いずれ、我々も面白がって、そのおじさんが指し示した外人部落のある家を見に行くため敷地に忍び込んで行った訳だ。しかし、その家(因みに外人部落の家々は木造の素敵な家が多い)のすぐ間近まで行った時だったと思うが、そこの家主か管理人かの外人のおじさんに見つかってしまい、恐らく「何をしているの?」と問われたのだろうか、我々は恐ろしくなって、それこそ蜘蛛の子を散らすように浜に向かって逃げはじめてしまったのだ。

外人のおじさんも「これは怪しい」と思ったのだろう、かなりの早さで我々を追いかけて走り始め、これをけしかけた日本人のおじさんの元に戻った我々のところまであっという間に辿り着いた。完全に怖さで動揺していた自分は我々がどう説明したのかも覚えていないが、いずれ「このおじさんに頼まれたのです」と弁明のように外人のおじさんに説明したのだろう、そうすると今度は外人のおじさんの疑惑の矛先がこの日本人のおじさんに向けられた訳だが、何とこの日本人のおじさんは自分の車に慌てて乗り込み、その場から車で逃走を始めてしまったのだ。

そして、ここから更に我々が驚いたのが、相手が車で逃げ始めたにも関わらず、この外人のおじさんは何とまたもや自分の足で走ってその車を、しかも今度は阿修羅のごとくの早さで追い掛け始めたのである。(単に走るのが好きな外人のおじさんだったのだろうか…)

口をあんぐりと開けてその様子を見ていた我々だが、それこそ「鬼のいぬ間に」今度は自分たちがその場から走って家に向かってトンズラを始めた。外人のおじさんも我々悪ガキが疑惑の対象ではないと思っただろうし、それに走りまくって流石に疲れ果てているだろう、我々を家まで追い掛けては来ないと思いはしたものの、その日は怖さが続いたと思う。あるいは怖さを通り越して、面白がって笑い転げていたか… 長くなったが、この事件も自分にとっては表浜の大事な思い出の一つなのです。

さて、つい少し前に開店したばかりの花渕浜漁港の「海の駅」に到達したのは9時をゆうに過ぎていたが、お店の前には長蛇の列が出来ていて、昔に自分が住んでいた借家もその一部となっている駐車場にもかなりの数の車が止まっていた。

復興も人が集まらねば始まらない。部落の様子は大分と変わってしまった、あるいは殆どが跡形もなく消え去ってしまったが、言ってみれば故郷がまた賑わい出すのを見ることは実に嬉しいものである。尽力されている皆様には多大なご苦労もあるかと思いますが、少しづつでも、ゆっくりとでも、復興の道を歩むことを陰ながら祈念させて頂きます。

もう午後6時になるところだ。自宅の居間のコタツでは、学校にサポート授業やらを受けに行って疲れて帰ってきた娘が寝ている。その脇では妻が彼女の父親、つまりは子供達のおじいちゃんの明日の米寿のお祝いに色紙をあれこれ考えながら、思い出の写真を貼り付けながら作っている。

今、自分は激しいクシャミを連発している。悔しいが所謂「花粉症」であることを認めざるを得ないだろう。それも毎年恒例の。今、冷蔵庫から息子がやはり花粉症で処方されたザイザルなるお薬を1錠頂いて飲んでみた。いずれ、自分も他の多くの人と同じように「花粉症」だがあまり気にしないことにしている。マスクも付けない。ライドも平気でする。あるいはわざとライドなどで花粉(あるいは他の何か)に自分をさらけ出して「慣れれば良いや」と思っている。素人療法もいいところだが、さてどうだか。何とか毎年これでやり過ごしているけど。

明日は震災の津波で亡くなった高校同級生の墓参りを仲間と一緒にしてから、その米寿のお祝いに行く予定だ。

以上、
 

 

 


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