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中国珠海市からマカオへの越境、そして戻り [観光]

(今日は2015年11月29日の日曜日。今はもうお昼近くの11時半。一昨日、昨日のライドで脚、特に膝が本調子ではなく、今日は主夫の日でもあるので、外は燦々と陽光が降り注いで昨日よりもさらにライド日和となっているが、朝からのタイヤ交換を終えてコーヒーなど飲みながら、細切れで作業していたこのブログを完成させようとしているところ)

お仕事の関係で中国・珠海市に行ってきた。珠海市は珠江デルタの香港のほぼ対岸にあたりマカオの北隣にあたる。今回、その滞在地である珠海市から中国の特別行政区であるマカオに越境して(当然手続きしてです)入り、短時間だが観光をしてきた。その事をその越境手続きなども含めてブログ記事としてみたい。

この件はさらりと前のブログ記事「24年振りのマカオ」で書いたが…
 

 

 

お仕事で中国・珠海市に訪問した今回、成田空港から香港国際空港経由フェリーボートで珠海市に到着した日の翌日、2015年11月18日の水曜日、その日のお仕事がお昼で一段落したのでマカオに行ってみることにした。

訪問前からここ珠海市がマカオのすぐ隣、北隣であることは分かっていたが日程的な余裕は全くなく訪問出来るとは考えてもいなかった。なので、当日はぶっつけ本番に近い行動となった。ネット情報が充実している昨今、当然、事前にささっとネット検索してある程度の調べ物、特に越境方法、あるいはマカオの訪問地、以下に述べるセンチメンタル・ジャーニー的な目的地の場所の大体の感覚は調べてからだが。

先のブログ記事に述べたように、マカオには24年前に訪問して事がある。パスポートによると1991年の10/16-19となっている。しかし、これは香港への入国・出国記録である。マカオは確か香港から日帰りだったような気もするが…24年も前の事とて記憶は定かではない。当時勤めていた東京都昭島市のメーカー会社の社員旅行だったので、さすがに香港に二泊三日程度だっただろう。そうするとやはりマカオは日帰りだったと思うのだが。

当時1991年は香港はまだイギリス統治下である。1997年に中国に返還され現在は中国の特別行政区となっている。マカオもまたその当時はまだポルトガル統治下であり、1999年に同特別行政区となった。

統治下であったから具体的にどうのこうのと言う記憶は殆んどないが、まだ啓徳空港(1998年に閉港して現在のかなり西の大きな空港に代替わり)がバリ稼働中であり、林立するビルや雑然とした建物すれすれに着陸したことは良く覚えている。

またマカオ絡みの記憶としては、香港のフェリー乗り場の出国手続きでの出来事であり、列に並んでいた白人男性の旅行者が出国検査手続きの遅いことに苛ついて係員にそれを声を荒らげて指摘したところ、それを見た現地の中国系の人達の数人が烈火の如く怒り始め、その白人に何を偉そうに言うか、出て行け、みたいに怒鳴りだしたこと、それを見て、やはり統治下の人達は植民地とした欧米系の人間に対して激しい反感を持っているのだなと感じた事、あるいは、マカオにフェリーで到着するとおみやげ売の子供や大人がばぁーっと駆け寄ってきて売り込みしてきた事、などであろうか。因みに自分はこの時まだ?29歳であった。

さて、本題に戻って今回の当日、お昼頃にネット情報などみてパパっと決めたことは、距離的にさほどでもないし、歩いていけるな、そうであれば、まずはとにかくマカオには越境手続きして入って、時間や疲れ具合など見て、思い出の場所まで辿り着ければ良いし、そうでなければUターンして戻るだけだ、という極めてラフなプランだ。因みに夜は会食打合せあったので夕方の遅くとも6時頃には珠海市の宿には戻る必要があった。

そうと決まると、あとは荷物の準備だ。とにかくパスポートとカメラ、そしてそれらを入れていくバッグである。あと、水と。水はホテルのタダ水を持っていく。バッグはもうお仕事で使うPCバッグしかない。これを空にして軽くして、中にこれらの荷物を入れて持っていく。PCはホテルに置いていく。流石に現金は心配だが、その他のもの、PCやらウォークマンやらなどは、まぁ~盗まれることはないであろうと判断。大体にして珠海市は高層ビルが林立する都会である。住民もきっとそれなりの収入・生活があるはず、そう瞬時に、そして簡単に判断を下したわけだ。

服装は…さすがに今回は短パンは持ってきていないが半袖ポロシャツは持ってきている。下は仕方ないのでチノパンだ。その格好にPCバックをたすき掛けにしてお外に歩き出した。出張前に簡単な周辺地図を印刷して持ってきていたのでそれを持参したが、それを片手に確認しながら歩く程の複雑な道筋でもない。大体の検討を付けて歩き始めたが、ちょっとした大通りに出て早々に良いアイデアに遭遇した。市内バスのバス停を見つけたのだ。そこから市内バスを使って移動することにした。

↓乗車したバス停を写した写真はないが、これはそのバス停のルート表
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以前、2005年から2007年頃だが、非常に頻繁に台湾・台北市に赴く機会があった。状況によっては滞在が1ヶ月を超えるような事もあり香港に日帰り出国・帰国をして滞在ビザを更新することもあった。そんな滞在時の週末など簡単なアドベンチャー代わりとして市内バスを使って移動などする機会も何回かあった。ここ中国・珠海市も同様であろう、と思ったわけである。また上のルート表には乗車につき2元掛かると親切に表示もしてある。なので、目的地である国境の「拱北口岸」Gŏngbĕi Kŏuànに辿り着くルート番号を見つけ、地元の人達に混じってそのバスが来るのを待った。因みに、財布を見るとジャラ銭が2元を少し欠けている。でも、まぁ~何とかなるであろうと乗り込み、実際、運転手さん脇の料金箱にジャラジャラとそれらジャラ銭硬貨を投入しても、あんた、足らんよ、などとはならなかった事も申し添えておく。

↓「拱北口岸」にバスで到着後
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↓越境時の写真
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越境手続きについては数多くのウェブで紹介してあるので省略する。いずれ意図も簡単、歩いて越境である。当然、中国側での出国手続き、マカオ側での入国手続、あるいは荷物検査などはあるけど。まぁ~、越境と行っても中国本土から特別行政区への越境、または逆であるだけだが。それでも、こうして歩いて越境するという行為は、馴れない者にとってはワクワク嬉しいものである。

↓マカオ入国?時はパスポートにスタンプではなくて、この紙を渡されただけ
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さて、マカオに無事に入国?歩き出したけど、やはりそれなりに暑かった。この日、深センでは日中30度と天気予報で言っていたので、マカオもそれなりだったと思う。ポロシャツが汗で濡れたほど。そして、マカオの街中を歩き始めてまず最初に感じたことは、香港にそっくりだなぁーと言う感覚。ビルの雑然とした感じや、細い路地や、看板や、何やらかにやら。

↓ そんな感じでしょうか?
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そして、マカオではまだポルトガル語が中国語と併用されて公用語とされているらしいが、やはり街中の道路名表示などの標識もそのようになっていた。

↓こんな感じです。
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後で写真も掲載するように、思い出の目的地にも無事に到達出来たけど、それよりも嬉しかったのは、実は放し飼いのワンちゃんを歩き出して早々に街中で目撃出来たこと。

↓このワンちゃんだけだったけど。
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その思い出の地というのは教会?天主堂?(聖ポール天主堂跡 大三巴牌坊 Dàsānbā Páifāng)の壁の遺跡のある小高い丘の事だけど、24年前に訪れた時の記憶として残っているのはその遺跡そのものよりもむしろ、放し飼いのワンちゃんが何匹もいて、へぇ~、放し飼いで良いんだぁ~、と思った事なのだ。

また今回この天主堂跡を訪れて、壁、と言うかファサードかな、これそのものは24年前と変わらない雰囲気なのだが、その周りが非常に大きく変わったような感じを受けた。言ってみれば完全な観光地と化しており、食べ物やお土産やブランド品などのお店屋さんが林立してスターバックスなどもあるのだけれど、これに対して24年前の訪問時の記憶は、言っていればちょっと寂れた感じの丘に立つ遺跡というものなのだ。また、その記憶では、丘の遺跡への階段の他にちょっとした土と草の山肌も残っていて、そこに自分は立って、このファサードとワンちゃん達を眺めたような… 写真でもあれば良いのだが生憎と持っていない。でも、記憶なんてそんなものだろう。まぁ~、いずれ今回24年振りに訪れた天主堂跡の感想は「すっごい、商業観光地化してしまっているなぁ~」というものでした。

ところで、越境してマカオに入ったらバスでも使ってこの天主堂跡に行こうか、とも道々考えていたが、結局、国境からは徒歩で天主堂跡まで辿り着いた。マカオは通貨が人民元ではなくてマカオ・パカタというものであり、一旦両替したらもう永久に使うことはないであろうな、という貧乏根性のなせる技である。この時も地図も見ずに歩いたが、南側の港に向かってそれらしい道がきっとあるはずだ、それに従って歩いて行けば良い、という勘が頼りだった。途中で英語の話せそうなオバサンに聞いて確認したりはしたけど。

↓写真です
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↓帰りの越境も甚く簡単。でも中国入国なので一応ちゃんとイミグレーションカードに記入準備して手続きを受けた。パスポートにもスタンプは押してもらえた。
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↓これは越境後すぐの地下街。レストランも沢山ある
 
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↓食べたもの
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↓帰りのバス停は地下にある
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以上でこのブログ記事は終わりです。中国・珠海市からマカオに移動する人はさほど多いとは思わないが、そのような人がいて何か情報を必要としている、そんな時にちょっとした参考になればとも考えて、細切れで作成しながら最終的に本日アップします。他に香港夜景観光や香港国際空港ロビーでの一夜の過ごし方的なネタもあるが、それはまた機会を改めて記事にしたく思います。

以上、
 

 

 


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