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毎朝の儀式と、コーヒーの一番香(いちばんが) [食事]

自分の平日の毎朝の行動パターンは儀式化している。その儀式の中で自分の一番好きな行為はコーヒーを淹れた時の一番香(いちばんが)を味わう瞬間だ。
 
 

目覚めはスマフオ。Android(HTC Desire HD)の目覚ましユーテリティに二つの時間をセットしている。今は4時45分と48分。45分のアラーム音はKeali'i Reichel - Kawaipunahele収録のHanohano Ka Lei Pikake。48分のはStevie Wonder - Talking Book収録の You are the sunshine of my life。でも、大体は最初の45分のアラームで目覚めるのでStevie Wonderを聞くのはまれ。それでも、あの優しいイントロを聞きたくてわざと起きないで待つこともある。

そんな目覚めをすると、隣でまだ寝ている妻を起こさぬように静かに寝室のフスマを開け、隣室から靴下を持ち出し、居間に向かう。

居間に入ると、その時の気分によりすぐに着替えをするか、あるいはまずは居間のキッチン側に廻り込み、ウガイをして朝一番のコップ一杯の水を飲むかのどちらかだ。この朝一番のコップ一杯の水は実はつい最近始めた儀式だ。NHKのラジオあさいちばんの健康ライフで数週間前に習った健康に良いとされるワザの一つだ。

おっと、忘れていた。居間に入ってまずすることはラジオのスイッチを入れることだった。

ラジオはSonyの手回し充電のオレンジ色のもの。自分の相棒だ。充電式で使っているのでときどき息切れするが、ハンドルを50回も回してあげるとまた息を吹き返してくれる頼もしい相棒だ。音色も優しい。そして、チューンはいっつもNHK第一に固定されている。

↓ これが愛機。写真のためにLEDのソフトライトを点灯してみた。
s_DSC03819.jpg
 
そんな時間帯だからスイッチを入れて聞こえてくるのは大体はラジオ深夜便のアンカーの方のクロージングトーク。それを聞くと、アンカーの方と、そしてこの番組を聴いているだろう深夜から朝まで働いていた人達に対して「ご苦労様でした、これからは私(達?)が働きます」という気持ちになる。

いずれ、ラジオ付けてからはキッチンでそのラジオを聴きながらいろいろと朝の作業をする。一連の儀式だ。そして、この儀式は効率性を追求して同時進行が殆んどなのだ。

まず最初は昨晩に洗って水切りに載せてあるある食器の片付け。

実は細かいことだが、この食器洗いにも自分は儀式的な決まりがあり、それは食器洗いの準備と、洗った後の食器の水切りへの並べ方だ。儀式、というよりは性格なのだろうが、どうしても段取りなどに気を使ってしまうたちのようで、洗う前の食器種別による位置の整列、洗った後の食器の水切りへの並べ方をきちんとしないと気持ちが悪いのだ。

前の晩の食器洗いが自分でないと、この朝の食器片付けでちょっと苛ついてしまうことが多い。何故なら、洗った後の食器の並びがめちゃくちゃの状態となっているので、乾燥した食器を所定の位置に戻すのに手間取ってしまうからだ。つまらぬイライラだけれども…

因みに、最近は朝ごはんを立って作業しながら食べてしまうことが殆んどだ。

さて、流れは大体こんな感じだ:

スープや味噌汁があれば、まずは火を入れる。

前日に使ったコーヒー用の魔法瓶2つを水でささっとゆすぎ、蛇口を浄水に変えてちょろちょろと浄水フィルターを通した水を溜める。

この水をいれている間に、コーヒーフィルターの端を丁寧に畳みドリッパーにセットし、コーヒー豆を計量するのにキッチン電子秤を引き出しから取り出し、コーヒーグラインダーの蓋を使って所要のコーヒー豆を計量して準備する(大体32grm程度)。

そんなこんなしていると魔法瓶に水が溜まるので、やかんをコンロに載っけてその魔法瓶から水を移してヤカンの火を付ける。この時に隣のコンロの火を入れたスープあるいは味噌汁に注意を向け、もう暖まっているようであれば沸騰する前に火を止める。味噌汁は特に沸騰させないように細心の注意を払うんだよね。

2本目の魔法瓶の水が一杯になるので、その水があふれる前に蛇口を締めて、その2本目の魔法瓶の浄水もヤカンに入れる。

お腹がかなり空いている時は、ここで温まったスープや味噌汁をカップに入れて少しすする。そうして、コーヒーを淹れるときに仮のポットとして使っているホーロー製のコーヒーポット容器をシンク作業台に魔法瓶2本と共に並べる。

お湯が沸騰する前に大体この辺で食べる朝食の準備をする。大体は昨晩の残りをご飯と一緒に電子レンジでチンする朝食だ。電子レンジに皿に盛りつけした朝食を入れ温めボタンをピッと押す。

お湯が沸騰すると、今度はそのお湯を魔法瓶X2とコーヒーポットに注ぐ。コーヒーを出来るだけ温かい状態に保ちたいがための容器を温める処置なのだ。

その容器が温まる間、チンした朝食をスープや味噌汁で立ったまま食べ始める。

実はこの朝食を立ったまま食べるというスタイルはつい最近始めたものだ。いつだったか時間が押した状況の時にふとご飯も立ったままで食べてしまえと思い実行、それ以来、まぁ~良いじゃん、という乗りで続けている。妻が見てれば絶対に何か言われるだろうが、皆まだ寝ている時間帯、気楽なものだ。それに自転車で携行食を走りながら食べるのに慣れていている最近は、立ったままものを食べるのにもさほどの抵抗を感じなくなってしまったこともある。

コーヒー用魔法瓶とコーヒーポッドが温まったら、お湯をそれらからヤカンに戻し、また沸騰させる。その間、ドリッパーにセットしたフィルターにグラインドしたコーヒー粉を入れ、それをコーヒーポッドにセットする。また、せっかく暖めた魔法瓶の熱を逃さぬように魔法瓶らに蓋を軽く置くことも大事な所作の一つだ。

さてさて、この段階で自分は少し緊張する。それは挽いたコーヒーにお湯を注ぐという行為が目前にせまっているからだ。

実は、この一連の儀式やら所作やらなどの物言い、そして自分のこのような考え方はある一つのテレビ番組の影響を強く受けている。それはNHKの番組「旅の力」の3月14日放送 「直心の交わりの原点を探して(モロッコ)旅人 千宗屋」だ。 

↓ この番組情報のNHKのPDFドキュメント

↓ 個人の方のブログと思われれるが、この番組を紹介している: 

茶道。自分にはその経験も知識も皆無だが、この番組を見て思ったことがある。

それは茶道というものは、お茶を楽しむという行為を徹底的に手順・儀式化し、その所作そのものを追求する道であること、そうする事によって言ってみれば雑念を取り除き、坐禅と同じような無の境地に至り、あるいは出来るだけ努力して近づき、その境地あるいは感覚とともに茶の味を楽しむものなのではないだろうか、というものだ。

甚く乱暴ではあろうが、とにかく自分はこの番組を見てそのように感じ、はっきりとはしないが、あるときから自分のこの朝の一連の行動を、特にコーヒーを淹れるという行為を、まるで、冗談のようなものだが、茶道に通ずるような行為に昇華させようとし始めのかもしれない。

さて、この茶道もどきの行為の中で、コーヒーに最初のお湯を少し注ぐ時が(もうこの時点で雑念まみれであることがバレバレだけど)自分の一番の楽しみだ。その香りだ。

↓ この記事を書こうと思ってコーヒードリップのシーンを湯気と共に撮影した写真を準備しようと思ったが、撮影が難しすぎて湯気をちゃんと取れなかった。
s_DSC03857.jpg
 
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「一番香」(いちばんが)というのは自分の造語だ。ドリップコーヒーを作る際の最初のお湯の注入時にコーヒーから立ち上る芳しい香りのことを指す、とでも定義しておこうか。

自分の場合は、お湯をグラインドしたコーヒー粉に出来るだけ均等に、そして出来るだけ少量注ぎ、立ち上る湯気に鼻を突っ込む勢いでフィルターの上に顔をかぶせ、極めて短時間しか味わえないその香しいカオリを十分に堪能するというものである。

あらあら、いくら暇だとは言え長文の記事になってしまった。

ここまで若し貴方がこの記事にを眺めてくださっていたら、それは貴方も自分に劣らぬ暇人であると私はほぼ確信しますね。

以上、
2013年6月1日 土曜日 午後7時
自宅の居間にて、Stevie WonderのTalking Bookを聴きながら、コーヒーを飲みながら。 

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