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’89年の単身アメリカ旅行 - 初めてのアメリカはサンフランシスコ [’89年の単身アメリカ旅行]

アメリカ話しの続き。サンフランシスコだ。

ここからは前回投稿記事 「自分とアメリカのつきあい」 http://travelling.blog.so-net.ne.jp/2013-01-30  の続きになる。しかし20数年も前のこと。1年前のことも覚えていないのにそんな20年以上も前の細かいことなど覚えているわけがない。

なので、これからのアメリカ話しは記憶に残っていることのみになる。また前後不明確、且つ間違っている記憶も多いかもしれない。こんな20年以上も前のことをぶり返してブログ記事にしている50オトコの戯言とご容赦願いたい。
 
さて、仙台の飲み屋で一人壮行会を催した後、深夜高速バスで自分は成田空港に向かった。しかし、現地到着までの記憶はほとんどない。なので、これからは一気にサンフランシスコ到着後の話しとなる。

ところで、脱線。

自分はこの単身アメリカ旅行の後、ふつふつとアメリカで働いてみたいという希望を抱くようになり、特に大きな理由はなかったが、まずは違う仕事術を学ぼうと思い、河北新報で見つけた募集広告を見つけて営業職についた。確か新聞の採用広告は「社会見聞録」だかなんとか見聞録というタイトルのついた広告だった。職種は採用広告事業の営業。今はもう使っていないかもしれないが、カモメのマークの会社 である。1990年、28歳となる年である。
recruit_2.jpg
 
大分と脇道にそれることとなるが、この会社(R社)での1年間はとても楽しかった。確かにキツイと言えばキツかったかもしれないが、まじめにやって成果があがれば、それはそれで楽しいのである。まじめにやっても成果が上がらない場合は、やはり適正が合わないせいかもしれない。さほど高成績を上げたわけではないが、自分にも少しは適正があったのかもしれず、途中で止める状態までには至らず、何とか1年という契約期間の区切りまで続けることが出来た。

工業高校機械科を卒業して、まぁーベルトコンベア的に推薦も頂いたしということで地場の大手電機メーカー(It's a S....の工場である)に勤め、メーカーの現場や技術系に近いような仕事しかしていなかった自分にとって、一気に営業職、それもR社の広告事業の営業というのは唐突なような気もするが、なぜかその時は気後れもせず、また仕事にもすんなりと溶け込めたような気がする。

ひとつには、メーカーに努めていたとは言え、最後の方には海外絡みのプロジェクトなどで渉外的な仕事が多くなり、そのせいもあるであろう。あとは自分の持つ性格的な部分もかなりあると思う。どっちかというと自分一人でじっくりとものごとを突き詰めて考えるよりは、対外的なことの方がより楽しさがあり、それが故にこのような営業職という新しい仕事にもすんなりと入り込めたのかもしれないと思うのだ。

いずれ、R社の東北支社での1年間は面白く、いろいろな体験をすることが出来、自ずと様々な学習も出来た期間だった。R社の、さらには広告事業という(当時の)の気風もあると思うが、若くて、ばりばり、積極的に突っ込んでいくという、何かそんな感じだったなぁ~と思う。また、広告事業なので当然だが、制作という仕事人達と二人三脚であり、その制作の人たちに漂うクリエーティブな感じも、良かったなぁ~、と思うのである。

あれ、脱線したまま、この回の記事も終了だ。

いつサンフランシスコに到達するか、自分でも楽しみである。



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