富の配分 [旅の雑感]
都内に来るたびに感じることがある。何て皆さんきれいで立派な姿をしているのだろう。何て素敵なオフィスだろう。何と立派で豪華なビルだろう。
道を歩くと高級車や値段の想像もできないような外車スポーツカーが数多く通り過ぎていく。道行く女性は誰もが綺麗に着飾り目移りして仕方がない。日本に、東京に如何に富が集中しているか、切実に実感する。東京では誰もが一生懸命に働いている。エリートとされるような人たちも寸時を惜しんで、自分の時間をすべて仕事に捧げて情熱をもって仕事をしているのであろう。目の力が違う。こちらはたじたじであるが、感服するばかりである。東京などの大都会に富があつまるのは、このような熱心で情熱的な労働者から、そうではないが何とか働いている労働者まで、とにかく一生懸命それなりに働いているからであろう。
しかし、である。しかし、一方ではホームレスの人たちも多く見受けられる。一昨日、霞が関に仕事で赴くときのタクシーの車中から、あるビルの前にフットサルフィールドというものが見えた。このような場所に運動する場所を設けるとはと感心したが、今朝のジョギングでもこの前を通り過ぎた。そこでふと思ったことがある。決してこのフットサルフィールドを設けた人たち、使用する人たちを悪くは思っていないが、富の使い方において、ホームレスの人たちにその富を少しでも、多くの企業や富裕者が寄付をしたりして、使うことは出来ないのかと。
財源があつまり、行政も協力すれば、ホームレスの人たちのような困っている人たちに手を差し伸べることもできるのではないだろうか。環境や文化が違うのは言うまでもなく、単純な比較はできないであろうが、米国では良くコミュニティー(例:教会など)が困っている人たち、ホームレスの人たちなどに救いの手を差し向けているようである。以前に滞在したSan Franciscoでもダウンタウンにそのような施設を時々目にした。
簡易的な宿泊所、洗濯・シャワー施設、食事の提供、仕事の斡旋… 富を象徴する多くのものが集まる東京のそこここを目にするたびに、 東京のそこここにいるホームレスを見るたびに、なぜ富の分配をこのような困っている人たちに少しでもしてあげられないのか、と思ってしまう。津波であんなにたくさんの人たちがボランティア‐で集まる国なのに…
おそらくこのような考えも持っている人たちやNPOなどもたくさんあるのであろう。孫さんのように数億円を寄付金として提供できるような富裕な人や、あるいは企業および経営者には、そして行政の方々には、このような優しい手を、自分たちが住み働く場所で困っている人たちに差し向けることを考えてほしいものである。
以上、
訪問&NICEおおきにです。
by オカジュン765 (2011-06-15 21:02)
訪問・niceありがとうございます
いつからか私利私欲だけに生きる国に変わり果ててしまったんですね。
by UNCLE (2011-06-15 21:42)