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塩釜本町・センチメンタル・ノスタルジー [観光]

2015年10月31日の午後6時少し前。在自宅の居間。娘がつい今しがた模試のため行った高校から帰ってきて寒い寒いと言いながらストーブを点け、お風呂を炊いている間にさっき自分がオサンドンに作ったばかりのカレーとニラ卵とじ味噌汁でご飯を食べようとしている。 

 

ここ宮城県の仙台近郊の名取市もまるで11月に入るのを合図にするように寒さが厳しくなってきた。妻の出番の日でもあり家事が必要でそのため手短なライドとなった今日のライドだが秋冬のジャケットの中身が薄手でではもうかなり寒さがきつい。いよいよインナーも秋冬の出番だ。レースシューズの爪先も結構冷えたしねぇ~。

昨日は午後に半休が取れたので塩釜方面に平地ライドし、知人等と午後7時から岩沼市内で夕食の約束があったので、帰り道は阿武隈川左岸の堤防上の道を初めて走り、そこから一時方向感覚を失いながら岩沼市内に入って知人等と食事をし、完全ナイトライドでここ那智が丘まで戻ってきた。昨晩のこのナイトライドも結構冷えたなぁ~。

さて、塩釜。

自分の実母の実家が塩釜の本町であり、七ヶ浜の漁師家庭に生まれた父親と結婚した後も、この方面で言うところのバッツである三男の自分を生み、そして自分が恐らく2歳か3歳になるまではこの実家に我々子供達と一緒に身を寄せていたようである。恐らく北洋漁船の無線士である父親がまだ陸に上る前であったためだろうと思う。小さ過ぎたので自分の記憶にその頃のものはないが、七ヶ浜の花渕浜に家族で引っ越してからも比較的頻繁にこの塩釜の本町の母方の実家には訪れていた。ぬいまち、ぬいまち、と言っていたが新町という別な呼び方がこの本町の実家の近辺にはあったのだろうか…

(七ヶ浜の北洋漁業の歴史的背景などは?と検索したら七ヶ浜町と宮城県の次の興味ある内容を見つけた:

この母方実家は塩釜神社の七曲坂(名称は下記から教えてもらいました)の登り口付近にあるが、幼い時に遊んだ記憶が断片的にそしてかなり残っていて、時々無性にまた訪れたくなるのである。昨日のライドもこれが理由であり、それは恐らく、河北新報のWEB版で本町の御釜さんの向かいの古い建物が昔は旅館であって、それの再建が進んでいるという記事を見たためだったのだろう。

(客観的?あるいは社会的な名前・名称というものは自分ではわからない場合が多い。自分も鹽竈神社の参道が3つある事は当然昔から分かっていたが、いざその名前となると全く分からなかった。便利なネット時代、検索をしたら鹽竈神社および界隈についてものすごく詳しいサイトがあり、そこからこの七曲坂という名称が初めて分かった:

この母方実家の本町界隈、昔は映画館もありガメラや何かの映画を見に何度もこの実家の従兄弟の少し大きいお兄ちゃん達に連れて行ってもらった。少し歩いて銭湯にも良く行ったし、お好み焼き屋もあったし。鹽竈神社を七曲坂から遊びながら登り境内で何度も遊び、あるいは伊勢模型屋さん、タンヨのオモチャ屋、今野屋デパート(…これは後年に建てられたのかも知れないが…)、昔の本塩釜駅前の活気のあるお店やさんの数々… まぁ~、良い思い出ばかりだ。

しかし、時は流れ、ものごとは変わる。今の本町通り、あるいは旧本塩釜駅の界隈の様子に自分は残念ながら寂しさを感じてしまう。震災以降、闇市場の様子も一変しているし。

居住者でもない部外者の自分に是非を言う資格など全くないし、そして、この移転にはそれなりの理由もあったであろうこと間違いないが、恐らく、仙石線の本塩釜駅の昔の場所から今の場所、それは観光桟橋の近くであるのだが、そこへの移転がこの本町や駅前の様子を一変させた大きな要因であったのであろうと思う。自分が高卒で多賀城の工場に会社勤めした後も飲み過ぎの居眠り下りる駅を過ぎてその列車の終着だった本塩釜駅で駅員さんに起こされ、その昔の本塩釜駅のプラットフォームのベンチに真夜中にちょこんと座り、さてどうしよう、と思い悩んだ記憶もあるので、移転は恐らく1980年前後であろう。(Wikiで調べたら1981年の移転になっていた)

まぁ~、こんなことをブログ記事に書いているが、自分お得意のセンチメンタル・ノスタルジーだ。時代は逆戻り出来ないし、壊してしまったものはもう元には戻らない。残るのは記憶のみであり、幸いにして自分の塩釜の記憶は楽しく甘酸っぱい心地良いものばかりだ。だから、またいつか、自分は塩釜にこの記憶を確かめに訪れるだろう。それで良いのだ。

↓下馬方面からの道、昔通った銭湯のあった道から、本町の通りに合流した場所。銭湯で飲ませてもらったお風呂あがりの牛乳は本当に美味しかった。この写真を撮った時は観光客が佐浦(浦霞醸造元)の玄関の写真を撮っていた
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↓河北の記事で見た昔の旅館の再建現場は御釜さんの向かい側だ。ここか、あるいはお隣のお店屋さんで飴かお菓子か文房具を買った記憶はあるが…
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↓御釜さんです
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↓この近辺が母方実家。おさんこ茶屋のすぐ近く
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因みに、自分は上の写真の奥にある川(今はもう道路の下かな…)に掛かる橋の下から拾われたのだと小さい時に悪さをするといっつも言われいて、半ば信じていた時もある。この橋(今も面影はあるけど)の向かいには昔は石母田ほねつぎがあり、小学校1年だか2年に七ヶ浜の花渕浜の貸家住居の前の道がまだ砂利道だった当時にたまたま父親の知人の方の車にホデナスの自分は飛び出してぶつかっていって骨を折ったかした時に治療してもらい、その時のギブスの中の足の痒みが痒くて痒くて、可笑しくて可笑しくて、腹を抱えて大笑いしたことを良く覚えているし、父親の死去後に父親の北洋漁業の無線士仲間だった方から、実は父親と母親の出合いがこの石母田ほねつぎだと聞いて、兄と二人でへぇ~と驚いたのはつい最近のことだ。

↓おまけ。塩釜に行くついでに30年程度昔に勤めていた工場に寄り様子見をしてみたり
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↓おまけ。岩沼の阿武隈川左岸仙台東部道路の海寄りの川土手の遊歩道で。初めて行ったが立派な遊歩道でかなりビックリしたけどスマホで急ぎの長電話し終わった頃にはすっかり日も暮れて頼りないライトでこわごわライドしたし寒かった
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以上、
 

 

 


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