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’89年の単身アメリカ旅行 - 旅についての雑感 [’89年の単身アメリカ旅行]

よく聞く言葉に「若い子には旅をさせろ」あるいは「可愛い子には旅をさせろ」なんていうのがあって、これは旅から得ることが出来る経験をその後の生き方に活かそうという人生訓だと思うんだけど、これはこれでもちろん的を得ていると思う。でも、それとは別に、人生をより豊かなものとする旅の効用もあるはずだよな。
 
 
自分は若しかしたら他の人達に比べて年齢的に遅くに旅を始めたと思うんだ。ここで言う”旅”とは今回の思い出しブログで綴った27歳での単身アメリカ旅行のことだけど。

その時の年齢から倍近くになった今の50歳の時点で、果たしてこの旅がその後の自分にとって”役”に立つものとなったか、なんてちょっと了見の狭いことを敢えて考えると、実はそんなに”役”になんて立ってはいないんじゃないかと思う。その後に何回もアップ・アンド・ダウンを経験しているんだから。

でも、もう少し突き詰めて考えると、この”役に立つ”という観点は本当はあまり意味がないのかもしれないとも思うんだよな。何故なら、あくまでも自分の場合だけかもしれないけど、”役に立つ”という考え方の意味合いは、そのかなりの部分で、お金持ちになって物質的に豊かな生活を出来るようになるため、という臭いがするからなんだ。

旅に求めるものが、もしもこのような実践的に”役に立つもの”だとしたら、それはちょっと悲しい気がする。それに実際のところ、そのような目的に役に立つなんて事はあまりないかもしれない。これは”役にたつ”という主体が一体何かということも大きいけれども。

それよりも、旅という行為を通して得ることが出来る喜びや驚きや悲しみ、あるいは怒りなども含めた”感じや経験”が大事なのではないかと思うんだ。そして、この”感じや経験”というものは、自分がそれまでに見知ったことや感じたことで築きあげられた感性みたいなものがあって、それに対して旅という行為が刺激を与えることで生まれるところがあると思う。

感性という言葉が適切かどうかは別として、人間はやはり生きた時間だけその感性は成長していくと思う。そのような感性を人に分かる形で、人が興味を持ち、そして進んで理解しようとする形に表現できるアーティストや作家になる人達もいるし、そうでない人(そういう人が大部分だよな)もいるけど。

人それぞれの感性は、生まれて物心(良い言葉だなぁ~)が出来るくらいの頃から形成され始められ、年を重ねるに従って段々と構築されていき、若しかするとある程度の年齢、あるいは経験が積み重なってからは、その感性が言ってみれば熟成されていくものなのかもしれない。

甚く抽象的だけれど、そんなそれぞれの感性の状態に対して、旅が刺激を与えてくれる。だから、若ければ若いなり、あるいは言い方を変えれば、経験が浅ければ浅いなりの旅の感じ方があるだろうし、例えば円熟した感性であれば、それはそれで旅の感じ方、喜びがあると思う。

まるで私的幸福論みたいな方向に考えや文章が向かっているのでやめるけど、結論としては、何歳になっても旅って良いもんだよな、という事。若い時の一般的人生訓に従った旅だって良いし、自分のように癒しの旅だって良いし、まったくの観光だってもちろん良いし。

もしどこかに、何かに行き詰っていたり、悩んでいたりしている人がいて、たまたまこのブログを眺めているとしたら、まずは後先なんて考えないで旅に出てみればと薦めたい。単純に気分転換になるんだから。そして、その気分転換の間の時間も、あとで思い出せばきっといい思い出になっているんだからと。

以上、
2013年4月19日 金曜日 夜の7時。
自宅の居間にて。

仕事から帰宅したがまだ夕食がまだなので納豆をおやつ代わりに食べた。
しかし、今日は寒い。ここは宮城県だけど明日朝は零下になるところもあるそうだ。
どっひゃー!!という感じだが、それでも多分明日はライドに出ると思う。
新しい携行食の試みとして近くのスーパーから一口サイズの羊羹も各種買ってきた。
でもこの寒さではちょっと山方面はパスかな。
平地を高ケイデンスでどれだけ走れるかやってみるとしようかな、などと考えている。
 


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