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’89年の単身アメリカ旅行 - CHICAGO [’89年の単身アメリカ旅行]

1989年11月20日、成田からサンフランシスコ空港に到着した自分は、その旅の最初の都市サンフランシスコで数日を過ごし、その次の旅の予定地であるシカゴ(Chicago, Illinois)に向かって飛んだ。
 
ところで、とここでまた脱線。

この単身北米およびハワイ旅行が1989/11/20出国(平成元年)から1990/1/18帰国(平成2年)の60日間。その後、1年間の採用広告営業職兼求職活動を行い、次に働いた東京都昭島市に本社のある精密加工用材料の会社でその米国拠点に92年から98年まで駐在した。駐在して居住した場所がサンフランシスコのある半島を少し南に下ったサンマテオ郡のフォスターシティ(Foster City, San Mateo CA)である。

98年の秋に日本に帰国し昭島市美堀町の拝島駅近くに住んだが、諸事情あり地元の宮城県にUターン転職したのが世紀変わりの2000年1月の中旬だ。転職先は事務機器大手の地方工場子会社だが、自分はそこで特殊プリンタ等の海外営業職となったのだ。(仮にTR社)

そして、ここでやっとこの脱線話題の目的に。TR社ではいくつかのプロジェクトに係ることが出来たが、その中の一つがかなり前にTR社が世に出した特殊プリンタの世代代わりの新機種の立ち上げと販売で、その仕事で自分はまた北米と深い関わりを持つこととなった。

具体的には北米の中西部であり、もっと細かく言うと自動車工業集積地のミシガン州デトロイト市周辺(Detroit Michigan and its vicinity) そこでは現地のパートナー企業のメンバーと新しい製品で置き換えをしようとしているユーザーを多く訪ねたが、土地柄、またその製品の強みを発揮するアプリケーションがそうであったために、自動車メーカーや周辺メーカーの現場を多く訪問したものだ。GM, Ford, Chrisler, Toyota.... それにしてもアメリカの現場、特にUAW(United Auto Workers)で強力に庇護された労働者が働く現場は迫力があったな。と言うか正直怖かったね。ものすごいガタイの立派な、刺青入れまくって、ニコリともしない怖い方々、つまりはアメリカの刑務所の雰囲気(あくまでもイメージとして)の現場なのだ。でも、これはこれで本当に貴重な体験だ。中にはお金出しても経験したい人たちもいるかも。(いないか、そんな人達は)

それで、その脱線話題だが、場所が中西部であったため、そして比較的United Airlinesを使うことが多かったためにシカゴ方面に行く、あるいは経由することも多くなった。時には展示会などに参加するために何日もシカゴのダウンタウンに滞在するようにもなった。2000年から2006年程度であろうか。

しかし、(前にもこのフレーズは使ったと思うが) 1989年の冬に入ろうとしている頃に、サンフランシスコからシカゴのオヘア空港(Chicago O'Hare International Airport) に到着した自分は、よもやその何年も後にシカゴに舞い戻ろうなどとは夢にも思っていなかったのである。

続く…

↓ Chicagoではないが、Ann ArborのUniversity of Michiganキャンパス内で撮った写真。2003年頃だ。
DSC06851.JPG
 

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