SSブログ

悪夢と、デール・マハリッジの「昔、父は日本人を殺した」を見て [旅の雑感]

昨晩、と言うよりも今朝早く、めずらしく夢にうなされた。

 

夢にうなされた経験はあまりない。覚えている悪夢のひとつは、小さいとき、たぶん9歳か10歳のころ、熱を出して寝込んだとき、怖い夢を見てうなされた記憶だ。

漁業がさかんで村が海に沿って点在する町の、近くに漁協の市場がある集落で育ったが、そのときの夢に出てきたのは、よく遊びに行く浜の、大きな石を積み重ねて作った防波堤から見る海の景色だった。天気はいつものように曇天で、自分は沖合の同じような石で作られた小さな島を見つめている。そこには薄気味悪い小屋が立っていて、自分は防波堤からその小屋を眺めながら、何故かその小屋の中にもいる。そうすると得体のしれない、黒いマントのようなものを羽織った悪魔に似た気配がどんどんと近づいてくる。防波堤から眺めていると、その黒い悪魔が小屋に近づいていくのが見えるし、小屋の中にいる自分もその気配が近くに迫っていることが分かる。もしこの悪魔に出会うと自分は大変な目に合ってしまう、たぶん死んでしまうという恐怖がたちまち生まれ、それに耐えきれなくなり叫び声を出してしまう。目覚めてからもしばらくその恐怖を忘れることが出来ずにいた。そんな思い出がある。

悪夢も頻繁に見るようになると、その一つ一つを覚えてはいないかもしれない。そうであれば、自分は幸いにも悪夢の体験はとても少ないのであろう。だからこの小さいときのこの悪夢をずっと覚えているのかもしれない。

そんな自分が今朝早くに見た悪夢は、次のようなものであった。自分は娘と二人、自宅のリビングで買ったばかりの液晶テレビを開梱し、映像を映し出した。その液晶テレビはとても安い値段で購入したもので、安さを求めていた自分たちはその結果に喜びながら作業を続ける。しかし映像を映し出すととても画像が粗く、どうやらアナログ放送のようでゴーストもとてもひどい。1万円だから仕方ないか、と思いながらも残念な気持ちでいると、娘は手洗いに向かった。私はふと立ち上がり、自分の姿が映し出されているチャイナキャビネットのガラスを見る。そうすると、私のすぐ後ろに赤い着物を着た女性、何故かそれは自分の姉だと気が付くのだが、が立っている。しかし、よもやと思いながらも視線を後ろに回して見てみると、そんな着物の女性はいない。だがガラスに目を移すと、間違いなく赤い着物の女性がそこにいる。ここで自分はそれがいわゆる幽霊であることに気が付く。覚えているのは、これが分かった瞬間には何故か恐怖はないのだが、そのあと何回もガラスに映し出されるその着物姿と、誰もいない自分の後ろを交互に眺めているうちに、じわじわと、そして急激に恐怖が沸き起こり、叫び声をあげてしまったことである。娘の名前と姉の名前を交互に叫んでいるうちに自分の声で目を覚ましたようだった。寝ている妻が、「お父さん、うなされているね…」とその隣の娘に話しかけているのを聞きながら、また眠りについた。

実は毎朝散歩がてら参拝している神社の境内、お賽銭箱のとなりに、ある日から二体の日本人形が置かれている。それはどちらもざんばら髪をした日本人形の女の子で双子のようにとても似ている。二体とも少し汚れているが、一体の女の子は顔の部分も少し汚れている。二体とも可愛い顔をしている。正直、少し怖い感じはするが、それでも参拝を止めるとかそういう程度でもない。二体は木の板の上に置かれていて、その木の板には何故か木の棒が1本まっすぐに刺されている。ちょうど、お仏さんの枕元におくご飯にお箸が一本突き刺しているような感じだ。この人形はその神社でお葬式が行われた日を境に置かれているような気もするので、何かそれと関連があるのかもしれない。神道の葬祭は珍しいし、そのお葬式の際には県内の著名な神社二社の供札も立ててあったので、供養されたのは神社関係者なのかもしれないと思っている。

いずれ、夢に出てきた赤い着物はこの二体の日本人形の着物であったと思うのだ。間違いない。この夢への素人分析的は、この人形達への恐怖が心底にある自分が、昨日、そして今日と参拝できなかったことへの罪悪感から、これらの人形の一部が夢の中に恐ろしいものとして出てきたのであろうということ。だがもう一方では、そして、それはないであろうと思いながらも、この二体の人形には何か霊的なものが強く宿っていて、ここ二日に渡って参拝に来ない自分に対して、夢の中に現れてそのことへの不満を表明しているのかもしれない、とも思う。そんなことを今朝、出張のために早朝に近くの駅まで送ってくれた妻に話した。

悪夢、前の記事に書いたデール・マハリッジの「昔、私の父は日本人を殺した」の録画をつい先日の日曜日に見た。このドキュメンタリー、あるいはデール・マハリッジが理解して記述しようとしているものの一つには、忘れられない負の記憶というものがあると思う。番組の中の旧米兵のインタビューの中でも、ときどき主人がうなされているのを見るとその妻が語っていたと記憶している。

私の悪夢はどれもが現実のではなく、何かしらの現実が変化して悪夢となって現れているだけだ。だが、この番組に出てくる人たちの記憶は、全てが現実に起こったことであり、それらは忘れたくても忘れられないものなのであろう。一方は加害者側の記憶、そして一方は被害者側の。

番組では、マハリッジ氏の父親が、その死を迎えるまで持ち続けた苦悩となる沖縄戦の生存者に、一体そこで何が起こったのかを彼がインタビューする。すでに高齢となった元米兵達は、加害者側の苦渋に満ちた表情でその記憶を彼に語りだすが、語り続ける彼らが徐々に、その悪夢をインタビューという形で吐き出せることへの安堵のような表情も見せるところが印象的だった。加害者側、被害者側という表現は、この悪夢を生むこととなる背景を考えるとあまりにも安直なものであろう。だが、あえて被害者側と表現させてもらうと、当時まだ少年であった沖縄の方が、暴虐を働いた米兵への今も強く残り、けってして消えることのない憎しみをはっきりと語る。その表情、マハリッジ氏への刺すような視線もまた、心に強く訴えかけるものであった。

番組の最後には、インタビューされた全ての人物が、じっと無言でカメラを見つめるショットが次々に映し出される。インタビューを受けている時の彼らの表情、彼らに問いかけるマハリッジ氏の表情、そしてこの最後の全員の表情、映像という表現手段が成し得る、表情を視聴者に読み取らせ、彼らの心の奥底にある苦悩を感じさせて何がしかの共感をさせる。ドキュメンタリーとしての題材も秀逸だったが、これを仕上げたスタッフの感性も賞賛に値するものだと思う。最近、民放の番組には感心させられるものが残念ながらとても少ないが、このような番組が作られるNHKはやはり素晴らしいと思う。NHKは受信料を徴収しているが、片や民放はスポンサーがいる、このことだけが要因ではない気もする。何故なら、以前の民放にはこのような番組も少なからずあったと思うからだ。

この記事を書き始めて二日が経ってしまった。昨晩は久しぶりの横浜中華街で上司と紹興酒を飲み、ホテルの部屋で悪夢どころではなく眠りにつくことが出来た。明日の朝にはまた自宅から神社に散歩ができるが、それまで二体の日本人形が悪夢で私を悩ますことがないように祈りたい。

DSC00408.JPG

 

 


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。