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死んだら意識も永眠して欲しい [観光]

昨晩、と言うより今朝の未明に死んだ気がした。 

 

どのようにして死んでしまったかは分からないが寝床で「あぁ~、自分はもう死んだんだ」とふと気が付いた。意識はあるのだが体はもう死んでいるから全く動かせない。何とかその死んだ体を動かそうとしばらく努力するのだがどうにもならない。隣では妻が寝息をたてているのも分かる。「もう永久に、この意識があるけどどうしようも出来ない状態が続くのかなぁ~、嫌だなぁ~、意識も早くなくなってくれれば良いのに…」そんな事を考えながらどうやらまた寝てしまったようで、息子が授業参観(高校3年だから懇談会を兼ねた見学会なのかな?)の登校日で学校に行くのでその音で目を覚ました。恐怖に怯えたり寝汗をかいたりすることは全くなかったが変な体験(夢かな?)だった。

昨日の金曜日は山元町で夕方に打ち合わせ終了したのが午後5時少し過ぎだったがそのまま直帰することにした。仙台市図書館ネット予約した本が太白図書館に到着しているのがすでに分かっていたし返却する本も車に積んで準備していたのでスマホで図書館閉館が午後7時であることを確認してから国道6号線、そして4号線バイパスと北上して太白図書館に到着したのが午後6時を少し回った程度だったか、面倒なので多少お金は掛かるが(1時間かそこらで150円程度)たいはっくるの地下駐車場に停めて予約本を受け取った。嬉しいかなネットでは配送中表示になっていたCDもすでに到着していた。予約した2冊の本(マルティン・ベックのシリーズ)だけだと本切れ状態になるのかもしれないので本棚を少し物色して2冊ほど追加もした:

「アンダルシアの友」 アレクサンデル・セーデルベリ/著 早川書房
「重力ピエロ」  伊坂 幸太郎/著 新潮社
「密室」 マイ・シューヴァル/[著] 角川書店
「警官殺し」 マイ・シューヴァル/[著] 角川書店
CD 「エクスプレッションズ」 竹内まりや ワーナーミュージック・ジャパン

本を無事に借り出せてから「まだ7時前だから大盛庵にでも行こうか」と考えラーメンを食べてきた。(夕方はラーメンライスメニューが無いようでラーメンと半ライスだったけど) それ位からか、いつかも体験した変な感じ、と言うか変な意識の状態になったのは。前も、そして今回も恐らく香辛料か何かの作用だと思うけど、仕事や何か行動をしながらも夢を見ているような、変な考えやら意識が発生するのだ。そんな変な感じのまま胸ポケットに納められるペンケースが欲しかったので長町モールに立ち寄って無印良品やら赤井沢やらを見て回り(結局見つけられず今日の帰宅後に楽天ネットショップでポチっと購入)、ペットエコにも寄って可愛い小動物を眺めてから帰宅した。今朝方の変な夢も、恐らくだけど、その変な脳の状態が作用したのではないか、と思うのだが。

今日は息子が出掛けてからも少し眠り、起きたのは8時をかなり過ぎていたと思う。昨晩午前1時半過ぎまで起きていたからだ。土日は強制休肝日でもあるので「それでは…」と帰宅時に那智が丘の下のコンビニで買った缶ビール500MLを飲み、録画した「LIFE!~人生に捧げるコント」をビールの酔いと脳の変な状況も手伝ってか?いつも以上にゲラゲラ笑いながら見てたら妻に「窓開いてるから笑い声が外にまで聞こえるよ」と注意されたりした。更に本当は妻がいつか飲む予定の350MLの発泡酒ビールまで飲んでしまい、録画して消していない同じ「LIFE!」を何本か見て、そんなこんなしているうちにNHKのプレミアムシネマの映画を途中から見始めたら何となく面白くて最後まで見てしまった。今ネットで調べたら「マッチポイント」というイギリス映画でウディー・アレン監督の作品で終了時間が午前1時50分になっていた。

妻が息子の高校の懇親会に出席するには宮城野区の福田町田子のその高校に12時40分の受付まで行かなければならないと言う。なので家を11時半頃に出発し妻を田子のその高校に降ろしてから七ヶ浜のお寺のお墓に向かった。母親の「むっつなのが」(六七日)の線香上げだ。成仏への旅も終盤であり残すはあと七日、疲れているだろうがもう少しだから頑張って欲しいという気持ちで家族分プラスアルファのお線香を上げ合掌し、今日も弔い含めて旧・本塩釜駅前の来々軒に赴き昨日の晩ご飯の大盛庵の中華そばに続き中華そばのお昼となった、流石にライスは付けなかったけど。でも中華そば食べながら思ったのは流石に成仏途上の母親も中華そばに飽きたのでないか?と、さもあれば「そうだ来週は金富士の酢豚にしよう!!」というアイデア、だったけど。

↓今日も車は観光桟橋近くのショッピングセンターの駐車場に止めさせてもらい現・本塩釜駅のトイレ経由で来々軒に向かったが、これは途中で目にした「猫ちゃんの里親探し」
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↓来々軒の中華そばの後は母親実家あたりの本町の散策と洒落こんだが、これは佐浦裏の昔は暮れの正月様の出店で賑わった界隈 
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↓大河岸町と呼ぶようだ?
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↓「鹽竈曲水」?
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転記「「鹽竈曲水」は、道路整備にあわせて地下埋設された祓川を、利府町春日を水源とする権現堂浄水場の越流水を利用し再現したものである。この流れに沿って「鹽竈百人一首」を展示し、「曲水の宴」の創造を図っている。」…
 
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↓佐浦の蔵の裏
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↓東参道(裏参道?)下から御釜さん方面に向かって左手が「伊勢模型屋」さん
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↓本町道路の交差点角に昔からある駄菓子屋さん
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↓最近リフォーム??された昔の旅籠屋
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↓本町の通りを母親実家のある昔の江尻方面に向かって
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↓母親がまだ娘さんだった当時に彼女も編み物教室として通ったりした塩釜キリスト教会 (この教会の前で牧師さんと一緒に母親たちが記念撮影した写真を見た記憶もあるけど… 今その写真はいずこに…)
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↓「ぬいまち」の語源?だろう「仁井町」
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↓おさんこ茶屋さん
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↓自分はこの橋の下で拾われたことになっているが祓川が道路下へと入っていく際(きわ) 
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↓旧・石母田骨接ぎ病院さん角から南の山方面の通り道(昔の自分の遊び場でもある)に入り、まず間違いなく母親の母校でもあるはずの「塩釜市立第一小学校」下からその通り道を振り返ってみたところ、写真右手の建物とかは50数年前の当時から変わっていない気がするけど
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↓車道にぶつかるところに母親実家の菩提寺の雲上寺がある
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雲上寺の母親方のお墓だが場所を忘れてしまっていて、数年前、当時ちょっと精神状態が可怪しかった時にその墓を探そうとうろうろとした事がある。姉は覚えているのでいつか一緒に行きたいと思っているが、さてどうだろうか。

↓昔の塩竈公民館が今は「塩竈市杉村惇美術館」となっている
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↓石碑があって見たら「鹽竈小学校発祥の地」となっていた
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転記「塩竈市立第一小学校は 明治六年六月「第七大学区 第一中学区 第二十九番塩竈小学校」として 此の地にあった藩政時代の代官舎を校舎に充てて発足した 以来百十二年 二万有余名の卒業生を送り出すと共に (以下略) 昭和六十年六月三十日 (以下略)」


↓雲上寺下から御釜さんへの向かう途中「石母田医院」を発見、石母田骨接ぎ病院さんと恐らく関係があるのだろうと思うけど… 産婦人科にもなっているから自分はここでお産された可能性も???あるいは昔の事だから母方実家でお産婆さんだったかな。今となっては知る術もないけど。
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↓「白坂」という呼び名は始めて目にしたが、母親の姉が嫁いだ我々の呼ぶところの「山のずっつ」(山のおじいちゃん)の家あたりの地所名が「赤坂」だから何か謂れがあるのかも知れぬ
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転記「雲上寺や慈雲寺のある小山へ続く坂道で、奈良時代の神亀元年(七二四)頃、その丘陵上に形成された国府津千軒への道でもあった。白坂山凝灰岩と呼ばれる灰白色の土壌が名の由来。平成二十年十月 塩竈市」 さすれば「赤坂」は赤い土の土壌なのだろうか…
 
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↓御釜さんあたりから本町の通りを東側の旧・本塩釜駅方面に向かって… 土曜日の午後二時半… 人通りが殆どないが、この写真見ると非常に残念だが「シャッター街」というイメージが…
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↓佐浦の入り口近くにあった立て札
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ディズニー好きの高3の息子が「塩竈みなと祭にミッキーが来る」云々言っておったが、この事かと…

↓今野屋デパートがあった空き地をタンヨさん越しに眺める
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この角を右に少し行くと昔良く行った銭湯が道路左手にあったと思うけど。自分より5歳上の姉もこの銭湯に行ったことは良く覚えていて「尾島町の芸者さんもいっぱい来てたよね」と言っていたが自分は芸者さんは流石に覚えていない。覚えているのはお風呂場や着替え場や番台の雰囲気、そして風呂あがりに飲ませてもらったコーヒー牛乳の美味しかったことだ。

↓昔の「青木金物屋」が今は「榮太樓總本鋪」となっている辺りから旧・本塩釜駅方面を眺めて
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昔はとにかくこの辺が本当に賑やかだった。駅、踏切、人が沢山、お店が沢山… 今はそれらが懐かしく、そして寂しい…

塩竈からの帰りには太白図書館に寄って竹内まりや「エクスプレッションズ」CDを返して(もう予約が何人か後に入っていたので、すぐ返却させて頂きました)、その足で柳生(やなぎゅう)のダイシンに寄って「野菜・花・バラの防虫スプレー」を買ったついでに「ツル有りのスナップエンドウ」の苗2株とフルーツミニトマト??の赤と黄色をそれぞれ1株づつ買って畑に植えた。
 
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スナップエンドウはツタをゴーヤーと同じネットに這わせようと思って同じ畝に。定植するときに諦めていたゴーヤー種撒いたあたりを移植ベラで掘っていたら何と瀕死のゴーヤーベイビーが!! 種をあまり深くに埋めたようだ。反省、反省。ちゃんと生き延びてくれるだろうか。

↓左側の白っちい芽がそうです
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話は飛ぶが、今日も母親の供養兼ねて来々軒の中華そばを食べたが、その後に母親実家辺りを散策しながら思ったことは「こうやって彼女の生まれ育った場所を歩いて見てあげるのも供養だろうなぁ~」と親不孝の息子も殊勝な気持ちを抱いたとさ。

おしまい、
 

 

 


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