現地イベント見学 2009-04-25 / 26 [祭り]
昨日の25日(土曜日)は本当に何もしない一日であった。読書、読書、昼寝という感じである。
読んでいた高村薫氏「 リヴィエラを撃て〈上〉 (新潮文庫) 」は読み終え、フィッツジェラルド「 グレート・ギャツビー (新潮文庫) 」も読んだ。今は同じく高村薫氏「 黄金を抱いて翔べ (新潮文庫) 」を読書中である。
夕方にかけて、地元に住むインドパンジャブ地方出身者コミュニティーのイベントである、Vasakhi Open House 2009というのを見てきた。場所はいつもジョギングをしているFort Cornwallisとなっている。午後6時の開始の少し早い時間に行って見ると、いつもは扉で閉ざされている要塞跡のFort Cornwallisが開かれている。通常ここは入場料がRM3.0であるらしいが、今日はこのイベントのために特別に一般開放されているのであろう。
要塞跡らしく昔の軍隊の雰囲気を再現している。
ジョギングの時に見かけていたポニーもちゃんといた。
イベントの方はこちらのYoutubeにアップしてみた。
途中で出てしまったので後半は分からないが、本格的なショウというよりは一般の人が練習した芸を披露するお祭りのようであった。一生懸命踊りを披露している子供たちが愛らしくて可愛かった。
フリーフードも準備してありちょっと期待していたが、ショウを見ている間にあっという間の長い行列が出来てしまっていた。残念ながら(俗な言葉なれど)ただメシは断念となった。
因みに昨晩の替わりの夕食は鶏お粥(RM3.0)と茹でトウモロコシ(RM1.6)。これにより昨日も最低出費記録を更新し、宿代入れてRM27.6で過ごす事が出来た。
本日もジョギングはお休みで午前7時半起床。いつものバナナ等の朝食を取った後、水泳に行ってきた。何とかもう少し早くならないかと考えている。今日は休み休みしながらまた10往復以上したであろうが、一向にタイムがあがる気配がない。フォームなのか、まだまだ筋肉が足りないのか。また今日は週末料金で平日のRM3に対してRM5の入場料となっていた。開場の午前10時からすぐに泳ぎ始めたが、やはり週末なのかあっという間にレーンが塞がってきた。そうは言っても同じレーンで複数の人が泳いでいる訳ではないので、やはり空いている事は空いている。
お昼をどうしようかと腐心するが、さすがに油ものは遠慮したい感じであっさりしたパンを食べたくなった。ガマスーパーに寄り食パン(8枚切りRM2.0)とブルーベリージャム(450g RM8.7)を買い込む。久しぶりに食パン(当然トーストではなく生だが)を食べたが美味しかった。しかし4枚も同じジャムで食べると少々食傷気味の感じになる。冷蔵庫がないので食パンはむろん、ジャムも痛まないかと心配である。食パンは恐らく二日とは持たないのではないだろうか。
今日の26日(日曜日)も現地イベントを見てきた。Little Penang Street Marketというイベントで、毎月最終日曜日に開催しているようある。
出店が並んでいる。いろいろと小間物、工芸品、絵画・写真、等々を販売していた。
併設する形で読書会もやっていた。
唄を披露するコーナーもあったので撮影してみた。
ここはEastan & Oriental Hotel (通称Hotel E&O)の向かい側の場所であるが、この場所は昔(およそ20年程度前)は確か薄暗い家具屋か何かの倉庫だったような気がする。中を見たら立派で素敵なバーなどが設えてあった。
これがHotel E&O。古い作りの立派なホテルで海沿いのプールやオープンカフェが素敵だ。
散歩がてら、とは言っても太陽がぎらぎらと降り注ぐ中、そして出来るだけ日陰を探しながら、通称ノーザムビーチロード (Northam Beach Road - Jalan Sultan Ahmad Shah)という道を西に向かって歩いていく。ノーザムビーチカフェ(Northam Beach Cafe)という屋台村があるらしく見にいったのである。
ここにはピザや洋食の屋台などの他にギョーザの日本食の屋台もあるとのことで行ったのだが、値段はやはり節約旅行には少し難しい値段帯であった。そうは言ってもピザのスモールでRM10、ギョーザ定食でもRM6程度と十分に安い。さらに泊まっている場所から距離的にも少し遠く、気が向いたらちょっと歩いて食べに行くという感じでもない。どうしても日本食やピザなどが食べたくなったらという時にまた来ようと思う。
帰り道、Protestant Cemetery(プロテスタント墓地)というのがこの通りにあり、そこにペナン島の英国統治の先鞭をつけた英国人フランシス・ライト氏(Francis Light)のお墓があるというので見学してきた。
墓地全体が特に手入れされている感じでもなく、それがまた墓地独特の恐ろしげな雰囲気を醸し出しているが、なかなかライト氏の墓地を見つけられなかった。白人女性二人組がいて聞いてみたが、その方々も分からないという。しかし何とか探し出したのが上の墓地である。確かFort Cornwallisにはライト氏の立派な彫像があったと思うが、この墓地はそれに比べるとさびしい感じである。
詳しい事はインターネットのWikiなどで検索出来るが、氏がペナン島を交易の拠点と見出したのち、ペナン島を領土とする当時のケダ地方を、近隣のタイやビルマからの攻撃から英国が保護するという条件のもと、ケダのサルタン(王様)から英国(東インド会社)へのペナン島の譲渡を実現し、その最初の統治者となったのが1786年である。マラリアによって亡くなりこの墓に葬られたのが1794年。齢は54歳であったらしい。因みに氏は当時のペナン島をPrince of Wales Islandと命名したらしい。今のペナン島という呼び名はマレー語のPulau Pinang(ビンロウの実の島)という意味であるらしい。
これはお墓の近くにある学校(恐らく)の廃墟。
ペナン島は植民地時代風の立派なコロニアル建築が多く見かけられるが、このような廃墟のような建物もかなり見かける。恐らく後世において復旧して歴史を残すつもりであろうが、是非ともそうなって欲しいものである。
今晩の夕食は、カビ生えが心配な食パンの残りと、安い経済麺のビーフン(RM1.6)を使って、焼きそばサンド風の夕食とした。まずまず味とボリュームであり、節約志向旅行者として満足なものであった。
明日からまた通常の休養生活である。
それでは、おやすみなさい。
2009-04-26 19:19
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